らせん階段
<Emmery Annexの過去ログ>
「何年たっても、どんなに自分自身の問題と取り組んでも全然解決しない、同じところをぐるぐるまわっているような気がする。」
そんな風に言われることが時々あります。そんな時はいつも、
「同じところをぐるぐるまわっているんじゃなくて、らせん階段をぐるっと一周りして次の階に登ってバージョンアップしたテーマにぶち当たってるのだと思う。らせん階段の中心にはその人その人で取り組まないといけないテーマや問題があって、私たちはぐるぐるぐるぐる、自分の問題の周りを登りながら回り続けてるの。だから一つ解決したと思っても、またその問題が別の形で、しかも前よりバージョンアップして出てくるのね。だから前と同じくらい大変な思いをして問題に取り組むことになるけど、私たちが登っているらせん階段にはエレベーターやエスカレーターがないから、一段一段、自力で登って次の階に辿り着いたということは、次の問題に取り組むことができるだけのチカラが身に付いた、とも言えるんじゃないかな。問題が解決せずに同じ事を繰り返しているように感じてもあなたは前よりも成長してるから大丈夫よ。」
と言います。そうすると、たいていの人は納得してくれます。
でもやっぱり、ちょうどつらい時期にいる人からは
「私たちはいつまでらせん階段を登りつづけるの?ゴールはあるの?」
なんて返されることもあります。
らせん階段がどこまで続いているのか、私にも分かりません。
「終わりがあるかもしれないけど、そこからまた別のらせん階段に移動してやっぱり登り続けることになるんじゃないかな、と思う。」
と返事をするのですが、そんな風に言うと
「そんならせん階段、一生登り続けるなんてイヤだ。」
なんて言われたりするのですけどね。
「あなたと同じように私もらせん階段をずっとずっと登り続けてるのよ。時々、滑り落ちたり、階段の途中で座り込んでしまうこともあるけれどね。私もらせん階段を登り続けるなんてイヤって思ったことあるよ。でも、逃げたくて逃げたところで別のらせん階段が待ってるだけだと思うし、これが人生で取り組まないといけないテーマだってハラ決めて登ってるよ。」
と言うと、らせん階段を延々と登っているのが自分一人じゃないと分かって納得してもらえるようで、それ以上つっかかってこられたことは、これまでのところありません。
らせん階段の終わりはどこにあるのだろう。。
とは、私もよく考えたものですが、
らせん階段の終わりは多分、天国に繋がっているんだろう、
そう思う今日この頃です。
律動の月7日 KIN250/忠誠をつなぎとめる 白い電気の犬