心に問う

<Emmery Annexの過去ログ>

本日のインナーメッセンジャーから

自分の心を静かにして祈り、答をゆっくりと待つことができたら聖なるものと直接触れ合うことができます。このことには誰一人として例外はありません。

このメッセージはとても高尚なイメージを受けるのですが、頭でいろいろと考えるのではなく、ただひたすら自分の心に対して問いかけていると、ある瞬間、いつもの自分が考え出すものとは異なる何かが、ふっと湧いてきます。
これが、ここで書かれている「聖なるものと直接触れ合うこと」と言えるのかもしれないな、と思いました。

頭で考えると、自分の思考のクセがでてしまって、いろんな理屈をつけて言い訳してしまったりして、考えれば考えるほど、本来あるべき自分からどんどん離れて分離してしまうようなイメージがあります。
なので、「考えても考えても分からない」と言われることが時々あるのですが、そんな時私は「頭で考えるのをやめたら?」と返します。

「頭で考えないならどこで考えるの?」と言われるのですが、自分を信じて、自分の心を静かにして問いかけ(私は「問いかける」と書きますが、メッセージにある「祈り」なのかもしれません)続けるとある瞬間に「質問の答え」(メッセージでいう「聖なるもの」かな?)がふっと降りてくることを体験できると思います。
ただし、瞬時にこれが起こることはそうありません。
「ゆっくりと待つ」ことが必要です。
猜疑心があると、その思考が邪魔をしてしまいますのでご注意を。

でも、自分の思考でがんじがらめになっていると、「自分を信じて心を静かにする」という最初のステップでつまずく人をよく見受けます。私自身もそんな風になることがあるのですが、そんな時は落ち着くまで何度も何度も氣功の深い呼吸を繰り返します。普通の深呼吸でも大丈夫ですのでお試しください。

余談ですが、私の場合、常日頃は理性で自分の感情を縛っているのがお酒を呑んで程よく酔うと、自分を縛っているものがほどけて本音がでてきたり、感情が出てきたりします。
こう書くと変な話ですが、私は本当のところ、こんな風に思ってたんだ、とか、いつもは感じないようにしていた感情に触れて複雑な思いをしたりするのですが、自分を縛るいろんな物事から自分を解放して本音を知る為の一つ方法(あくまで私にとって、ですが)と思っています。「聖なるものと直接触れ合うこと」とは違いますね。。

共振の月6日 KIN17/共時性をはかる 赤い自己存在の地球