人は見た目が9割

竹内一郎人は見た目が9割」を読了。
タイトルがタイトルゆえに、内容を読む前から物議を醸した本であった。
4月の横浜出張の際、新大阪の駅のキオスクに並べられた本を見て、
上司がそのタイトルを見て苦笑していた。私はその反応を見て整然と、
「子どもは別かもしれないけど、大人になればなるほどその人の生き様が表面に
出てくるから、あながち間違いじゃないですよ。」
なんて言ったんだった。
他にも内容を読まず、タイトルのみで盛り上がったことがあり買って読む前から
こんな風に盛り上がるなんて前代未聞でございました。
で、いつものように馴染みの本屋さんの中古を漁っていたら、この本を見つけて、
中古ならいいかと買ってしまいました。よく考えたらそんなに安くなかったな。

読んでみた感想ですが、タイトルに騙されてます。
実際は、帯にもあるとおり「非言語(ノンバーバル)コミュニケーション」に
関する本です。

どんなに言葉を尽くしても、情報伝達において言葉は7%しか伝えないという実験
結果がある。残りの93%は、顔の表情や声の質、仕草など。つまり、言葉よりも
それ以外の情報の方がコミュニケーションでは大切なのです。
NLP(Neuro Linguistic Programming = 神経言語プログラミング)をかじったこ
とがある身の上としては、とりたてて目新しいことはなかったのですけど、
マンガの表現技法、伝達力はとてもおもしろかった。あまりマンガを読まずに
育ってしまったのですが、マンガだと頭に入ってきやすいと感じる理由が
分かりました。単なる絵と吹き出しだけじゃないんだなぁ、と。これまで意識
していなかったけれども、マンガそのものも立派なノンバーバル・コミュニケー
ションだったんだ、と納得。

言語化がどうとか、普段はこのblogを含め、言葉を操ってばかりなんですけど、
まぁ、言葉なんて本当に曖昧なものです。

「ねぇ、私の話を聞いてる?」と尋ねた相手が上の空で
「うん、聞いてるよ」なんて言ったら、口では「聞いてる」と言っていても
聞いちゃいねぇよ、コイツ、って思いますよね。

ケンカをして「もう、怒ってないから」と言われたとしても、
目が怒ってたら、「怒ってない」という言葉と本心は別だって分かりますよね。

こんな風に、言葉よりも態度の方が正しい情報を伝達しているケースって
非常に多いと思うのです。
それに、同じ言葉でもまったく正反対な意味を内包していることが多々あります。
(こっから先は内田先生の受け売りね)
たとえば「手前」。「てまえ」と読めば一人称。「てめえ」と読めば二人称。
リバーシブルです。

「好き」という言葉だって、その時の言い方で意味合いが変わります。
たとえば、男の子が女の子に「僕のこと好き?」と尋ねられたとして、
相手の女の子が間髪入れずに「うん、好きよ」と答えた場合と、
コンマ何秒かのためらいがあって「・・うん、好きよ」と答えた場合では、
同じ「好き」でも意味合いが違うことはお分かりだろうか。
間髪入れずに返事があれば、「人間として好きだけど異性としては興味がない」
間があれば「異性として好き」という意味合いになる。(100%の保証はしないけど。)

ここまで書いたら何となく分かってもらえると思うけど、言葉だけ追っていてはコミュニケーション全体が見えなくなってしまうんである。

常日頃はメールやblogが主、つまり、書き言葉によるコミュニケーションばっかりな私ですが、正直、書き言葉だけのコミュニケーションは疲れるな、と思うことがあります。書き言葉でも、やはりそこに間があったり、息づかいがあったりして、行間も読みますが集中力がモノを言うので疲れる・・ですね。
その逆も然り、かしら。こんな風に毎日書き言葉で発信している私が書くのもなんですが。

で、「人は見た目が9割」の本の内容からずいぶんと脱線したような気がするんですけど、この本を書いた竹内さんはマンガの原作や舞台の演出などもしておられるので、そういった経験から言葉以外の「ノンバーバル・コミュニケーション」を事細かに紹介しておられます。口べただから上手に伝えられない、なんていうのは全くの間違いってことを学べると思います。言葉に頼らず雄弁に語る方法ってのはあるんですよ。それを私ができているかどうかは別として。

 

人は見た目が9割 (新潮新書)

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