夢を見た

それも目が覚めた時、
「あぁ、夢か。。」
と思わず口に出してしまうほどリアルな夢。



この時期になると、シチュエーションは違えどよく見る夢。
眠っている間に見る夢は、自分でコントロールすることができない。
だから、時々、怖い思いをする。



何かお芝居を見に行ったのだけど、大遅刻をしてしまい、
一幕の終わりにかろうじで劇場に滑り込んだ。
一幕と二幕の間に休憩があり、場内が明るくなったら、
自分の座席のすぐ近くにかつての友人がいるのに気付いた。
私は「あら、なんと奇遇な。」と感じると同時に、しみじみ、懐かしい
という思いで溢れた。
久しぶりなんだけど、私から相手に挨拶をしにいこうとはしなかった。
しにいくつもりもなかった。
向こうが私に気付いたかどうかも分からなかった。

気付くと携帯にメールが着信していた。
相手からのメールだった。チェックしたら、
「観劇の後で食事でもしない?また仲良くなりたい」
という内容だった。
どうやって私の携帯のアドレスを知ったんだろう。。
と思いながら、また観劇に入った。

観劇の後、かつての友人が近くに座っていたことも、
メールをもらっていたことすっかり忘れて、
そのまま家に帰ってしまった。
家に帰り着いてから、メールをもらっていたことを思い出し、
改めてメールを読んでみたら、
他の女の子との約束があるから、その約束が終わった後、
8時半から食事を、
みたいなことが書いてあって、なんだ、私はやっぱり埋め合わせかよ、
相変わらず変わんねーな、と、苦笑する。
しょーがねーヤツだな、といった感じで、怒りとか哀しみとか苛立ちとか
そういうのはなかった。
でも、返事をする気にはさらさらなれなくて、そのままにしておいた。

・・そして、目が覚めた。

目が覚めても、夢の中でも相変わらずしょーがねーヤツだな、という
思いしかなく、ホッとしていた。
これまでは、同じような感じで偶然出くわし、向こうが懐かしそうに
近づいてきたら、私は「来ないで!」と恐怖でおののいていた。
逃げて、逃げて、でも、逃げ切れなくて、最後は恐怖いっぱいで
凍りついていた。相手は、かつての友人であるのに。
襲ってこようとしている訳でもないのに。
しかも、夢の中だというのに。

シチュエーションは違えど、このパターンの夢を何十回見たか分からない。
酷いときは、毎晩見ていた。
目が覚めて、ひどく惨めな思いをした。
バクが悪夢を食べてくれたら良いのに、と思った。
でも、悪夢の元が無くならない限り、夢は何度も見続けるのだろうと思うと、
絶望的な思いを抱かざるを得なかった。
起きている間の夢や想像は自分でコントロールできるけれど、
眠っている間に見る夢は、コントロールできない。
どうやったら同じパターンの夢から逃れられるのか、
教えてくれる人がいたら教えて欲しいと思う。
この10年ちょっと、私はずっと同じパターンの夢に悩まされてきた。
ただ、今回の夢では私が相手に恐怖感を抱かなかったこと、
目が覚めても大丈夫だったことで、私自身の心の傷も
本当の意味で癒えてきたのかもしれない、と思った。
しみじみと、相手のことを懐かしい、と感じることができたなんて。

夢から覚めたその日、何を思ったか、天王寺へ買い物に行きたくなってとっても久しぶりに天王寺に向かった。天王寺に着いて、目的の店に行こうとして歩いていて気付いた。自分が事件の現場に戻ってきてしまったことに。夢を見たことで、無意識のうちに、あの出来事そのものが夢でなかったことを確認したくてやってきたのだろうか、それとも、もう現場に来ても、何も感情がわき起こらないことを確認したかったのだろうか。私には分からない。ただ、引き寄せられるように現場に戻ってきてしまっていた。
現場を歩きながら、私の最後の日のことを思い出していた。
というよりも、勝手に頭の中で流れるあの日の映像を見ていた。

あの日は妙だった。
アメリカから一時帰国している間に会う約束をしたのだけど、家を出た後、待ち合わせの時間が6時だったか6時半だったか、分からなくなってしまったのだった。まだ携帯電話が普及する前のことだ。6時に待ち合わせの場所に行ってしばらく待っても来ないから、やっぱり6時半だったかと、ちょっとその場を離れて、6時半前に戻ってきて待ってたら、後ろから丸めた新聞紙でパコーンと頭をドツかれて、それがまた意外にも痛くて涙目になりながら
「いったぁ〜 何すんねんな(# ゚Д゚)」
って言ったのだった。
私が6時か6時半だか分からなくなっていたように、向こうもどっちで待ち合わせしたのか分からなくなっていたようで、
「待ち合わせは6時だったっけ、6時半だったっけ?」
なんて言ってたのだった。

とても仲良くて、あうんの呼吸でいれた関係だったのに、その日は待ち合わせの時もそうだけど、なんとなく、いろんなものが全てチグハグで、噛みあわないのを感じていた。

そんな中、お互いの近況報告で「彼女ができた」と聞いた。
「あれ?元々の彼女とはいつ別れたの?私が日本にいた時は、彼女と冷却期間をおいてるって言ってたのは?」
と尋ねたら
「あの時すでに当時の彼女とは別れていた。」
と聞かされたのだった。
そこで私は、バラバラになっていたジグソーパズルが組み上がって1枚の絵になっていくかごとく、過去に起こった出来事の真相とその意味を悟った。
足下の地面が崩れていくような、顔から血の気がひいていくような、
信じていたものが無惨に崩れていく音を聞いた。

ポーカーフェイスが得意な私だけど、あまりにも動揺してしまい全身ガタガタと震えそうになるのを堪え、平静を装い、
「へぇ、あの彼女とは、てっきり結婚するのかと思ってたけど、そうじゃなくて、新しい彼女ができたのね。」
なんて気持ちの動揺を悟られないように必死で対応したのを覚えてる。

私がバカだった。
信じた私がバカだった。
私は何も知らない羊ちゃんだった。
自分につき続けた嘘が通用しなくなったのを知ったのだった。

それでもなんとか平静を装い続け、別れ際に、
「今度会えるのは3年後?5年後?」
と、素っ気なく言ったのだった。
それは、アンタなんて私にとってなんでもないのよ、という
私の最後の強がりだった。
そんな私の言葉に、「そうやな。」と同意するともなんともいえない返事をよこし、私はそれ以上の言葉も返さず、振り返って手を振ることもなく背を向けて改札を通って駅構内に入っていった。
歩きながら、涙が流れるのを止めることができず、もう二度と会わない、会うこともない、そう思ったのだった。
帰宅したら、母に
「久しぶりに会ってどうやった?」
と尋ねられて適当に返事をした後、
「もう彼には二度と会わないと思う。」

と、絞り出すように言ったのを覚えている。

最後に会ったあの冬の日から10年以上が過ぎた。
何年経っても朝晩の風が涼しくなると、記憶が侵入してくる。
トラウマティックな体験は、鮮度そのままで瞬間冷凍されて心の冷凍庫の中に保存されてしまう。
最初のうち、その冷凍庫の開け閉めを自分で管理することができなくて、時と場所を選ばず勝手に冷凍庫が開いて、瞬間冷凍されたものが逆に瞬間解凍した状態で私の前に飛び出してきた。
私は、自分で自分をコントロールできないことが怖かった。
気が狂っていくのだろうか、と思うこともあった。そんな時期を過ぎ、自分で冷凍庫の開け閉めをある程度管理することができるようになった。

いつになったら忘れることができるのだろう
どうやったら記憶を自分の中から葬り去ることができるのだろう
なんで私だけがこんなに苦しい思いをしなければならないの
と気が狂いそうな時期もあった
今は自分が生きている限り一生つきあっていくものとして受け入れている。

それでも、事件のあった夏の終わりから秋にかけて、何度も同じパターンの夢に悩まされるこの時期はいつも惨めだった。
いつになったら解放されるのだろうかと。
これも一生かけて体験し続けていくものなのだろうかと。

ただ、今回の夢の中で、私が相手に対して恐怖感を抱かなかったこと、目が覚めた後も穏やかでいられたこと、最後に会った場所に導かれてしまっても、その場でいろんな映像を見たけれど、とりたてて感情が揺れることがなく、今こうやって長々と綴ってみても穏やかでおれる自分がいることを知り、新たなステージに移動できたのかも、と、思いそんな自分が嬉しいのか、悲しいのか、よく分からないけど涙が出そうな自分がいるのだった。