夏の朝

小学校や中学校が夏休みに入ってしまった為、駅までの毎朝の道のりが
非常にスムーズになった。いつもより家を出るのが遅くても、子どもたちが
道にあふれていないため、これまでよりも早く駅に着いたりする。

緑歩道を走っていると、セミの声がうるさい。
気象庁から梅雨明けの発表がなくても、確かに夏が来た、と感じる。
これからセミの鳴き声の移り変わりを聞きながら、季節のうつろいを知る。

どんなに言葉を尽くしても、どんなに心をこめても
相手に通じてないと感じることがある。
届けたものは相手の中で理解されないまでも凍結して留まり続けるから
いつか、ある日突然、光が射し溶解するであろうことは分かってる。
その為に何度も何度も同じ事を繰り返し伝えていることも。
でも、時折、自分の力不足のようなものを感じて虚しくなったりする。
それはそれで、そんな風に感じる自分が傲慢だと思う。

その逆で、言葉が少なくても、やや不足気味でも
真っ直ぐに通じ合っていると感じることもある。
わずかな言葉で心地よく響き合い、心で感じる快楽。
そんなとき、この世もまだ捨てたもんじゃないと思う。

ちょっと大げさかもしれないけど、
そんなことを感じながら朝の光と香りの中
駅に向かってペダルを踏んでたんだ。