ルーツ

お盆でもあった先週末は実家に帰っておりました。
といっても、1年ちょっと前までは実家から会社に通っていた訳だし、それに、実家を出ても、ワンコのお風呂当番を代わってくれる人がいないため、ワンコをお風呂に入れるのに、しょっちゅう帰ってるので、帰ると言っても、な感じ。

でも、お盆だから親戚が集まったり、お墓参りをしたり、自宅にもお寺さんがやってきたり、実家といっても、ちょっと普段とは違う。

父方の親戚と食事をしていた時、いもーとちんが叔母に祖父母について話を聞いてました。
父方の祖父母は、早くに亡くなったので、いもーとちんが生まれてなかったり、生まれていてもまだ幼かったりで、あまり記憶にないのであります。
私自身も、そんなに知っている訳ではないので、興味深く聞いておりました。
もちろん父から話を聞いたことは何度もあるけれど、父の妹である叔母の話は視点が違って、また面白かったのです。

祖母は、船場の商人の長女で、いわゆるイトさんとして育ち、最期まで職業婦人でした。私が5歳の頃に亡くなったので、あんまり記憶にないのだけどね。
叔母が話をしながら、「今思えば、何でも自分でできる人やってんわぁ」と。
記憶の中の祖母は、着物を着ているけれど、かなりモダンな人だったそうで、いろんな帽子を持っていて、いつもかぶっていたそうな。
叔母の着物はもちろん、洋服も自分で型紙から作ってたそうで、
「デザインもモダンやったわー」と。
結構、新しいもの好きでもあったのかな。
「クリームソーダ飲みたい」と言ったら、喫茶店に行くのではなく材料を買ってきて自宅で作って飲ませてくれたとか、
当時はお店に行けば、という時代ではなかったというのもあるでしょうが、いろんなものを手作りしてくれたらしい。
とても気遣いの人で、母が新婚の頃、
「イヤなことがあったら、これで気分転換をしなさい。」
と、舶来品のバスパウダーをくれた、なんて話はよく聞いてました。
ただ、身体が弱い人で、特に心臓が悪く、そういったのが原因で早くに亡くなってしまったのですがね。長く生きていたら、どういう人だったのだろう、と思う。

祖父は戦争でフィリピンに行って、マラリアに罹って野戦病院で過ごした時期もあったそうで、
「左を向いててください」
と言われて左を向いたら、右の人が処理され、
「右を向いていてください」
と言われて右を向いたら、左の人が処理をされ、という凄まじい体験をしたと言ってたらしい。
この話は父から聞いてたかな。
背が低かったから騎馬兵だったそうで、馬と気持ちが通じると、森の中を歩いていると、枝に当たらないように、馬が調整して歩いてたり、祖父が馬の背で寝てしまったら、落ちないように上手に歩いてくれたりしたそうで、戦争が終わった時、馬とはとっても別れがたくて馬を連れて帰っても良いと言われたけど、日本で馬を飼う場所がないから泣く泣く断念して戻ってきたとか。こういう話は初耳だ。
祖父は背も低く、いわゆる「ずんぐりむっくり」な体型ではあったけど、それでもやっぱり新しい物好きでモダンな人だったみたい。
香水を欠かさない人で、祖父の香りは今でも覚えております。
何にでも挑戦してみる人で、ダンスなんかもやっていたらしい。
へぇ~!でありました。
ちょっと笑ったのは、祖父の嫌いな食べ物などは、ほぼ、父に受け継がれていること。これは聞いてて大笑い。
習慣などもそうで、香水を使うのも祖父譲りなのでしょうね。
私も香水は欠かさない人だけど、両親共々、日常的に香水を使う人だったので、使うのが当たり前だと思って育ちました。

父方の祖父母は亡くなっていないけれど、今、私は父方の祖父母の家があった近く、中でも祖母の出身である船場に住んでいるのですが、これも自分が決めたのではなく、流されるように船場に運ばれてきて住むようになったので、祖父母が呼んだかな、と思っています。

他にもたくさん、たくさん、祖父母の話を聞いたのですが、聞けば聞くほど、知らずとも影響を受けているというか、DNAなんでしょうか、やっていることが似ていたり、「ルーツ」というものを考えるキッカケになったお盆でありました。