シャンソニエに出動したはなし

日本は律儀なので、26日になったら、すっかりお正月の門松が大きな会社のビルには飾られていたりする今日この頃ですが、今頃クリスマスの時のお話。

クリスマスってのは、西洋みたいに家族で過ごすものだった私は、生まれてこの方、クリスマス・イブの日にロマンティックな予定があったためしがないという。。ま、そんなことはどうでも良いのですが、クリスマスが平日だと仕事という理由があるので、内心、どこかでホッとしていたりするのも事実。

で、今年のクリスマス・イブは木曜日。
母のシャンソン関係で、宝塚のOGの方が経営されているお店のライブのお客さんが少ないから少しでも来て欲しいとの連絡が。
最初のステージが20時頃ということで、その頃に仕事を強制終了して西梅田にあるシャンソニエに出動。(1年に1~2回は、頼まれてサクラとして出動してます)

お店に行ってみたら、そこそこお客さんがいてたので、私が来なくても。。
と思ったのですが、2回目のステージ(1回目は間に合わなかった)が終わったら、お客さんの多くが帰ってしまったので、そういう意味では来て良かったのかも。

母がシャンソンをやっている都合、日本人が歌うシャンソンを聴く機会がちょくちょくありまして、今回は元・宝塚の人たちのシャンソンを楽しみました。歌は当然として、身のこなしの美しいこと。惚れ惚れしました。

いもーとちんも助っ人で来てまして、娘が二人いると目立つ訳です。
「お嬢さんもお歌を?」と他のお客さんに尋ねられて、
「上の娘が歌じゃないけど、ハーモニカを。」と。

ステージが終わると、歌手の皆さんは接客もされるのですが、たまたま今回のOGさんの一人が、以前、私が母のステージの後で1曲吹いた時にその場におられたそうで、
「あ~、あなた、あのときハーモニカ吹いてた子ね。」
みたいに言われまして、その後は、他の人たちからも
「ハーモニカのマドモワゼル」と呼ばれ、ここでは何もしてないねんけどな。。と。

ただ、OGさんが聴いた私の演奏というのは、
「クロマチックはもうええわ。」
と止めていた頃のことで、母に余興で1曲やれと言われて、渋々、しかも、とんでもなく緊張して演奏した時だから、今よりも、もっともっと拙くて、あれを覚えておられるとはなんだか恥ずかしいような。
とはいえ、あのとき、母のシャンソン関係者がほとんどだったけど珍しかったからか妙に評判が良く、シャンソンの先生から
「もっと他の曲も吹いたらいいのに。今度コラボしましょうね。」
と言われ、自分の中でうまく吹けなかった悔しさなどから、もう一度頑張ってみようかと思い、徳永教室の門を叩くキッカケの一つになったのです。

楽器も持って来てないし演奏もしてないのに「ハーモニカのマドモワゼル」と呼ばれたのは、何かよく分からなかったのですけど、母の趣味のおかげで母の友人関係者には
「あぁ、あなたがハーモニカを吹いてるという。。」
みたいな物言いをよくされるので、皆の期待?に添えるように練習をせんとなぁ、と思ったのでした。

それにしても、「イブの日に予定がぜんっぜん入らない娘だから」
って真実だけどデカイ声で言うのは止めてよなぁ。
それでなくても元々声が大きいんだから