第45回定期演奏会

最初にお断りしておきますと、
今回のエントリは、ハモソ関係者以外は読んでもつまらないエントリだと思いまふ。

関学ハモソの第45回定期演奏会を見てきました。
以下は、感想っていうか、回想も含めた長い長い長い長い独り言です。
あんまりにも長くなったから、「続きを読む」設定にします。
mixiでタイトルをクリックしてしまった人は、エントリ全体が表示されてますが)
読む人は、ながーいのを覚悟してくださいな。

同志社ハモソの連れがいたらよかったのですけど、後輩に声をかけてもなしのつぶてだったので、また一人で行ってきました。
(私がまた、わーわー言うのもどうかと思ったので、基本的に今回は、個人にお任せしようと、同志社ハモソ関係者には声はかけなかったです。)

久しぶりにハモソを見に行ったのが、ちょうど去年の12月にあった関学ハモソの定期演奏会
あの頃は、関学ハモソOBと交流すること自体が、おっかなびっくり状態で、コンサートの後にOB会の忘年会をするからそれにもどうぞご参加くださいと声をかけていただいて、関学ハモソOBの集まりに同志社ハモソOGの私が一人で参加するなんて、いったいどうなるんやろか。。と、楽しみ半分、不安と緊張が半分くらいで見に行ったのを覚えてます。

開演に間に合わなくて遅れて入って聞こえてきた音に
「あ、ハモソの音や。。」と、懐かしさに思わず涙が出てしまったこと。
聴けば聴くほど、当時のことをいろいろと思い出して、懐かしさやら休部状態になってしまった無念さとか悲喜こもごもだったこと。
でも、OB会の忘年会で絶対に感想を求められるやろうから、
ちゃんと聴いて受け答えできるようにしておかなくては、と、
やや緊張気味で耳を澄まして聴いてたこと。
知らない人ばっかりだけど、同じハモソということでOB会の忘年会では暖かく迎えてもらって嬉しかったこと。

そんなことをつらつらと思い出しながら、あれから1年か、と、感慨深いものがありました。

今回は時間に余裕を持って出かけたハズが、何を勘違いしたかJRに乗ってしまって、駅に着いてから路線が違っていたことに気づき、タクシーでホールまで飛ばしてもらって高いヒールで走り倒して、冷や汗かきながら開演ギリギリに滑り込んだのでありました。

1部はとりあえず入り口近くに空いてた席で見ておりました。
端の席だったので、どうしても音のバランスが良くなくてここじゃキチンと聴けないなぁ。。。と思いながら鑑賞。
1部はPAの具合もあんまり良くなかったですね。
バックと中間、フロントのバランスが良くなくて、ソロが埋もれがち、メロディもはっきりと聞こえにくくて、うーむ、これは厳しい。。と思いつつ聴いてました。

選曲は、ディズニーやスカパラ熱帯JAZZ楽団T-SQUAREと、実にハモソらしい、同志社ハモソでもよく選ばれがちなもの揃い。(当時、熱帯JAZZ楽団はなかったけどね。)
で、1部最後の曲名を知って、おおおお???と、驚き。
「エル・クンバンチェロ」やったんです。

春コンが終わった時、同志社ハモソOBたちと「次は何やろ?」という話をしていた時に「エル・クンバンチェロ」が出ていて私も個人的に次は「エル・クンバンチェロ」をやろうかなと思っておりましたんですよ。
だから、ここで「エル・クンバンチェロ」を現役が演奏するってことはガチで勝負することになるっていうか、なんというか。
思わず「来年の春コンは『エル・クンバンチェロ』じゃなくて『コパカバーナ』にしよか。。」と考えてしまった私でした。(なんでEmmeryがこの時点で一人勝手に選曲しているの?というツッコミはあってもなくても。)

ただ、東京ウインドオーケストラの「エル・クンバンチェロ」だったからアレンジが今風っていうか、さわやかな感じで、リズムも心持ちゆったり目で私たちがやったのとは別物として聴けて、春コンで私がオーセンティックな同志社サウンドな「エル・クンバンチェロ」をやっても良いんじゃないかと思ってみたりなんかもして。
(↑すでにやる気マンマンですな、私。)
それにしても優雅に指揮ふってましたねぇ。
私、「エル・クンバンチェロ」の指揮を振るんやったら、ちょっと体力つけとかんといかんなぁって思ってるくらいなんで。
(どんな激しい指揮をするつもりなんだろう。。)
そんなこんなで、たかが1曲、されど1曲で、一人妄想モードに入ってしまったのでした。

1部が終わってから席を移動したのですが、お客さんが多くてちょうど良さそうな席がなく、仕方なく、また端の方の席だけど前で見ることにしました。
ステージに近くなったので、曲に応じては、ちょっと胸ときめかせながら
「お、髪を切ってカッコ良くなったではないですか♡」と熱い視線を送っていたりなんかして(笑) あ、これは余談。

2部からは、卒部生のソロが始まり、PAの具合が少しずつ改善されてきて、聞きやすくなってきて、ちょっと安心しました。

ハモソは、メンバーの力量やアレンジの善し悪しだけじゃなく、当日のPAのバランスによっても大きく左右されるから、なかなか難しいなぁ、と思います。

これまでの私は、演奏しっぱなしで、とっても無頓着だったのですけど、再度ハモソで曲を書いて演奏にも参加してみてから、お客さんとしてハモソのコンサートを聴いていると、アレンジのこととかいろいろと、私ってこれまでどうしてきたんだろう。。って、考えさせられてしまいました。

クロマチック・ハーモニカのソロがバックに埋もれがちだったのが気になって気になって。
「そこ、1オクターブ上げて吹いたら、もっと活きるはずなのに!」
なんて思うことが、ちょこちょこあったなぁ。
特に歌モノ系の曲で多発していた印象があります。
でも、1オクターブ上げたら、今度はソプシンやフルートとかぶってやっぱり活きないのかも?と思ったり。

なんでこんなことを思ったのかというと、現役時代、同志社ハモソは弱肉強食と言いますか、ソロはオーディション制だったのです。
とあるオーディションで、ソリストを選んだ理由に
「1オクターブ上げて吹いたから際だっていた。」
と挙げたのでした。原曲に基づいて吹けば良いというものではない、
特性を出すために1オクターブ変えてみるという着目も必要、
みたいなことを言ってはった記憶が。
その時の印象が非常に強く残っているのですが、今回、指揮者の言ってたことがよーくよーく身にしみて分かりました。
もちろん、秀逸だなぁ、と思うソロ&アレンジもありました。
ちゃんとその辺り、心得ているのでしょうね。

それから、今のハモソは自由で良いなぁ、と、今年も強く思いました。
現役当時の私たちは、伝統みたいなものに縛られていたな、と。
当時の自分に「もっと自由にやっていいねんで」と言ってあげたいくらい。

今回は、卒部生への花束贈呈はなしだったのですが、卒部生紹介は、やってまして元部長が代表してトークをしたのが良かったです。
私も大学時代で胸張って誇れるものと言えば、ハモソしかないしね。
時代が変わっても、同じように思う人たちがいることは学校が違っても本当に嬉しい。
最後の「ありがとうございました」を言おうとした時に、
こみあげてくるのをグッと堪えてるのを見てると、こちらも、うるっと。

そういや、私が卒部するときは、花束贈呈はおろか、卒部生紹介もしなかった。
というよりも同期が揃いもそろって、卒部生が目立つのはイヤと言ってやらなかった記憶がある。私は、せめて卒部生紹介くらいは、とやや不満ではあったのだけど、指揮者は目立つから、まぁ良いかと。
母から「なんでそんな赤を選んだの???」と言われたビビッドな赤のワンピースを手作りしてステージに立ちましたね。
涙もろいので、2部は自分のソロが終わったら泣きながら指揮してるかもしれないけど気にしないでねってステージの前に言ったけど、全然泣けなくて、最後まで泣かないで済みそうって思ったら、アンコールの「あなたに会えてよかった」で、一気にいろんなものが堰を切ったようにこみ上げてきて、涙をこらえるなんてもんじゃなくその場に崩れてしまうんじゃないかと思うくらい泣きながら、アンコールの指揮を振ったことなんかを、ステージの上で涙を流す現役生を見ながら思い出しちゃったのでした。

もう一度、ハモソのステージで演奏することができて、去年は知らない人ばっかりだったのが、今年は知っている人がステージの上にも客席にもいっぱい増えて、そして、これからも同じハモソの仲間として交流していけることは嬉しいこと。
卒部したら終わりじゃなくて、OBとして参加していける場があるということは、また新たな楽しみがある。
現役にとってもOBにとっても。

ここで改めて、同志社ハモソが休部状態で、今の私たちには若い仲間が増えていかない淋しさを感じずにはおれません。
でも、同志社ハモソの現役復活という夢を持ち続けて、何ができるか分からないけど、とりあえずやれることをやってみようと思うのです。
来年も春コンをやることは決まっていて、同志社ハモソOBもまたジョイントさせてもらえるようではあります。
ここ最近は、ソロに専念しておった私ではありますが、改めて仕切り直して、動いていこうと思ってます。

とゆーわけで、同志社ハモソOB&OGのみなさま、
これからまたEmmeryがお騒がせいたしますので、よろしゅうに。

と、とりとめもないエントリになったのでありました。

最後まで読んじゃった人は、お疲れ様!