この曲にかける思い

「おもい」打って変換したら「重い」と最初に変換されてしまい、
体重増加が気になる昨今、しょっぱなからトホホ。。なワタクシ。

えー、何についてのエントリになるんだか分からないですね。

先輩方とお会いするにあたり、何かつなぎになるものはないか?とハモソ時代のブツを探していたら、同大ハモソを創部した若林氏と戦後に復活させた宮崎氏が1992年に亡くなった時、いろんなOBたちがメッセージを寄せている追悼パンフを見つけたので、それを持っていくことにして、京都に向かう電車の中で久しぶりに読んでおりました

追悼曲として演奏したのは「ラ・クンパルシータ」
パンフにはこんな記事がありました。

タンゴの中でも日本人にとてもなじみが深いこの名曲は、昭和5年の創部の頃からの当ソサイアティーの持ち曲でした。しかし、昭和19年、京都朝日会館にて演奏された折、当時の軍隊に敵性音楽として糾弾され、命令により当ソサイアティーは解散させられました。また、昭和30年、復活と共に第1回定期演奏会に最も得意な曲として演奏されました。
このように、「ラ・クンパルシータ」は、創部、解散、復活と当ソサイアティー60年あまりの歴史の中で唯一延々と受け継がれている十八番の曲です。



今回、同志社から1曲出すことになった時、個人的にやりたいと思う曲はいくつかありましたけど、同志社ハモソを代表して選曲するなら、「ラ・クンパルシータ」しかないだろうと、迷うことなく選びました。
戦前のハモソの十八番と聞いてましたし、私も現役時代に復活35周年、そして翌年の追悼と、2回演奏しています。
これなら、どのOBが出てきても、同志社の代表曲として文句は言われまいよ、
という程度の思いだったのですけど、アレンジをするのに何度も聴いて、曲書きをしているうちに、なんとも恐れ多いような、でも、現役がいなくても同志社ハモソここにあり!と言えるのは、「ラ・クンパルシータ」しかない、すごい曲をやることになったんやなぁって、いろんな重み(ここは「思い」じゃなくて。)も感じるようになりました。

パンフを読み返すまで、節目節目に「ラ・クンパルシータ」が演奏されてきたことを、すっかり失念していたのだけど、一も二もなくこの曲を選んだのは、私の中で今も息づく同志社ハモソ魂が成した技だったのでしょうか。
残念ながら同志社ハモソの現役はいないけど、いつか再復活した暁には、やっぱり「ラ・クンパルシータ」が受け継がれたら、と思うのです。

音と音にハーモニーを
友と友にハーモニーを
そして
心と心にハーモニーを



これは、同志社ハモソを創部した若林氏がハモソの基本理念として唱えたモットーなのだそうです。現役当時、何度となくコンサートのパンフなどで目にしてきたはずなのに、気にしたことはなかったのですが、今こうやって目にすると、深いなぁ、と思います。

なんとなく、語り尽くせない思いがいろいろありますね。
その辺りは演奏にぶつけるということで。