またお会いしましょう

雨が降って、急に涼しいというよりも寒くなった週末、
金曜日に亡くなった同僚のお葬式に行ってきた。

彼女が倒れてから4週間。
亡くなってしまったという実感が湧かなかった。
嘘だと思いながら確認しに行ったような気分。

式場に着くと、彼女にそっくりのお嬢さんがいた。
見た瞬間、「亡くなったはずの本人がそこにいる」と皆が皆、
そんな風に思ったらしい。髪型まで同じで生き写しみたいだった。


プライベートでは泣き虫で、すぐに泣くから、
「また、そうやってすぐ泣く!」
と、家族から叱られることが多い私だけど、お葬式では
なんとなく泣いてはいけない、泣くべきじゃないって思った。
ここは「私」ではなく「公」と、私の中のナニカが判断したのか。
最初から最後まで、周りがどんなに嗚咽していても、
涙ぐみはしたけど泣かなかった。会社の人たちは涙を見せない私に
「こんな時でもEmmeryさんはいつも通りの冷静沈着を崩さないのね。」
と、思っていたかもしれない。本当は、そうではないのだけど。

お葬式の間中、彼女になんと語りかけるか思いめぐらせていた。
亡くなった日の夜は、夜空を眺めながら、
「人生も速く駆け抜けていっちゃったんやね。。」
と、語りかけてはいたのだけど。
「ゆっくり休んでください」も「ご冥福をお祈りします」も
違うような気がした。「さよなら」なんて言いたくもなかった。
棺の中にいる彼女の姿を見て、私の中から出てきたのは、
「いってらっしゃい。またいつか、どこかでお会いしましょう。」
だった。顔を見たら、少し口を開けて笑っているようだった。

彼女のだんなさんが、倒れてから最期までの話をしてくださった。
答え合わせではないけれど、私が報告を読んで「!」と思っていたことが
残念だったけど的中していた。的中しなければ良かったのに。
「なんでこんな早くに逝ってしまわなければならなかったのか。。」
と、無念さを滲ませながらも、苦しまずに亡くなったこと、
家族全員で最期を看取ることができたのが幸いであったと話してくださった。

逝ってしまった彼女にも、いろいろな思いがあったろう。
無念もいっぱいあっただろう。
でも、人は必ずこの世に生まれたら最後、もれなくあの世に帰る。
出棺を見送りながら、
「いってらっしゃい。またいつか、いつかどこかでお会いしましょう。」
と心の中で言ってる私がいた。
やっぱり「さよなら」は言いたくなかった。