ゆれる

シネ・リーブル梅田で「ゆれる」を見てきました。

「あの橋を渡るまでは、兄弟でした」ってキャッチコピーがなんとも印象的で、予告編を見て気になってました。そんな西川美和監督の描く世界を見てみたいってのもあったけど、正直言うとオダギリジョー目当てですね。オダギリジョーって、根は悪い奴じゃないけど驕りがあったり、斜に構えてたり、影があったり、つきあいにくい一癖も二癖もある役ばっかりですね。そういうのを演じさせたら右に出るものはないんでしょうけど、今回もそうです。

東京で成功した写真家の弟(オダギリジョー)と地方で家業を継ぐ兄(香川照之)という兄弟を軸に据えながら対照的な2人の内面のさまざまな「ゆれ」を深く掘り下げた作品で、見ながら深々と考えさせられました。
母の一周忌で実家に戻った時に、兄弟は幼なじみの智恵子と一緒に懐かしい渓谷へと出かけ、そこで起こったひとつの出来事。事故なのか、事件なのか。
その出来事をめぐって、弟と兄の人生がゆれ動くのですけど、兄が笑顔の奥に閉じ込めていた深い内面を見せたかと思うと、弟がクールな外見から一転、内面の感情をさらけ出す。
私は長女ということもあってか、どちらかというと映画の中で香川照之が演じた兄の要素が強いなと思いつつ、見てました。

パンフの冒頭に
信じること、信じられること。
裏切ること、裏切られること。
奪うこと、奪われること。
許すこと、許されること。
弟であること、兄であること。

と書かれているのですけど、とても深い言葉です。
ストーリーは、この言葉たちの間を振り子が揺れている感じ。

エンディングが、この前見たばかりの「big river」と似てますね。
「big river」では、主人公が本来乗る予定だったバスに乗ることをやめて、ヒロインを追いかけ始めるところで終わり、「ゆれる」ではバスに乗ろうとしている兄に向かって道路の対岸から弟が「にいちゃん!にいちゃん!」と叫び、兄が気づいたところで終わる。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、この先はどうなるのだろうという思いを馳せさせる終わり方。真の意味のエンディングは、観客に委ねられているとも言うのかな。その人によって、ハッピーにもバッドにもできる。

いろいろ考えたんで、もっと書こうかなって思うのですけど、あんまり書くと単なるネタばれになってしまうから、この辺で。
「big river」同様、見終わって、すかーっとする映画ではありませんので、その辺りはご注意を。