タマネギ

 <Emmery Annexの過去ログ>

先日、「本当の自分が分からない」と友人が話しているのを聞いて思ったこと。

私が以前書いたエントリが見つけられないでいるのですが、私自身、場面場面で演じ分けるような生き方をしてきました。
誰でもそういった部分はあると思うのですが、私の場合は、ちょっと極端かも?
と感じていました。そして、どの自分が本当の自分なのか分からない、とずっと悩んでいました。そんなある日、気づいたのです。どれもこれも自分自身であって、嘘も本当もないのだと。どんなに演じているつもりでも、演じている自分も紛れもない自分自身の一部で、否定されるものではないと気づいて、かなり楽になりました。
このblogを始めてからのことです。おそらく去年の秋頃のことだと思います。

「本当の自分が分からない」
というメールをもらって、私は
「自分には本当も嘘もなくて、どんな自分も自分を構成しているパーツの一部であって、全部自分自身なんだ」
というような返事をしました。

そうしてまた一つ、別のこと、前につきあっていた人から「君はタマネギのようだ」と言われたことを思い出しました。あまりにも守りがかたすぎて、コアな部分が見えない。いろんな面を持っているのは良いけれど、皮をむいてもむいても中身にたどり着けなくて、まるでタマネギのようだと言われたのです。それはそれで、ずっと私の中で渦巻いていました。そんなつもりはないのにって。

友だちに返事を書きながら、このタマネギの話について内なる声が話しかけてきました。確かに、タマネギはむいてもむいても中身に辿り着かないかもしれない。
でも、タマネギの皮1枚1枚がタマネギを構成している一部であって、全体でもってタマネギとなる。むいてもむいても中身が。。というのは、木を見て森を見ないのと同じである。それに、タマネギは丸ごとが種みたいなもので、そこから根がでて芽が出る。
タマネギそのものが、コアみたいなものなのだから、1枚1枚の皮をはがしてコアがないと言うことには意味がない。

以前、「タマネギみたい」と言われたことは、私のどこかでコンプレックスみたいになってましたので、そうか、タマネギでいいのかー、なんて、これまたスッキリしたのです。