2020年後半の始まり

7月に入りました。

今年は行事がないので、なんだか夏になる気分がありません。
近所でもセミが鳴き始めたら夏気分になるでしょうか。

プールに行くこともできず、夏休みも短く、お祭りも花火もなく、静かな夏になりそうです。

息子の学校のプールは、5年生と6年生のみで、2年生の息子は授業がありません。その通知があった日は、
「楽しみにしていたプールがないなんて!」
と、大泣きしていました。

どこかプールをやらないかなぁ、とか、せめて海にでも、と思っていますが、どうなりますやら。

 

少しずつ、いろんなことが日常に戻ってきていますが、油断はせずに過ごしていきたいですね。
特に子どもたちは、学校が始まって1ヶ月が過ぎて、ぼちぼち疲れも出る頃ですし、暑くなりますし、気を付けて日々のケアをしていかないとな、と思ってます。

 

夏越の大祓

今日は6月30日。夏越の大祓です。

半年間の穢れを祓うために茅の輪くぐりをしてきました。
本物の茅や藁を束ねた茅の輪は、香りが良くて好きです。神社によっては、本物の茅や藁でない茅の輪のところもありますが、材質程度で効能(って言うのかな)は変わらないはず。

京都では、水無月というお菓子を食べる風習がありますが、大阪でもこの時期は和菓子屋さんで水無月を見かけるようになりました。今年は早々に水無月を食べていて、今日もできれば、、なんて思っていたら、近所の和菓子屋さんでは売り切れでした。

明日からは7月、今年も折り返しです。
今年前半はコロナウイルスに振り回されたような日々でしたが、気持ちを切り替えて後半に臨みたいですね。

半年続いたこと

2020年に入ってから新しく始めたことで半年続いていること。

それは「家計簿」をつけること。

これまでずーっとPCの家計簿ソフトや、iPadで家計簿アプリをつけたりしてきました。でも今一つ、家計を管理できている感がありませんでした。入力しているだけで、内容の把握が全然てきていなかったのです。

いろんな家計簿の本を読んでみて試してみたのが「づんの家計簿」

「づんの家計簿ノート」を買ってきてやってみました。お金を使ったらひとつひとつ記録し、使用金額を上書き合計して、使ったお金を把握する、というものです。

やる前は、面倒かと思いましたが、やってみたら意外にも書き出すのが楽しいのです。夫や息子の洋服を、いつどこで何を買ったとか、みたいなことを具体的に振り返ることができるので、家計の把握もですが、持っている物の把握もできて便利です。

使っているうちに、私なりにやりやすい方法に変えているので、づんさんの方法そのままではないですけど、我が家のお金の動きが分かってきて、お金に関する不安が少し減ってきました。

「づんの家計簿ノート」は、万年筆で書いても裏うつりしないのが結構うれしくて、万年筆で文字を書くことが癒しの一つである私にとっては、それもポイントが高いのかもしれません。

 づんさんの本は何冊も読んだけど、一番良かったのは、『楽しく、貯まる「づんの家計簿」書きたくなるお金ノート』だったかな。

楽しく、貯まる「づんの家計簿」 書きたくなるお金ノート
 

 

自粛生活中の癒しになったもの

息子の休校に始まった自粛生活で、癒しになったものがいくつかあります。

一番元気をもらったのは、B'zのLIVE GYMの映像23本が無料公開されたこと。
最後にLIVE GYMに参戦したのは、息子がおなかにいてる時だから、もう8年前になりますか。
古い物から順に見ていって、5月末までに18本見ました。
もちろん、自分が参戦したLIVE GYMも見ましたよ。
すっかり身体の中にB'zの音楽が息づいた感じがします。
過去に私を支えてくれた歌の言葉をたくさん思い出して、それをライブ映像で何度も反芻しながら過ごせた日々は、気持ちや心といった、自分の内側が豊かでした。5月後半は、本当に時間があればB'zのライブ映像を流していたので、夫から「またB'z見てるんか」と不興をかいました。それでも、自分がご機嫌で過ごせることの方が大切でした。
6月になって、なんだかB'zのLIVE GYMロスでした。
何枚かDVDを持っているから、DVDを見れば済む話なんですけどねー。

もう一つ、大切な癒しだったのが紅茶です。
紅茶好きなので、休校が始まった頃だったか、早々に自分が好きな紅茶のお店で紅茶を多めに買っておきました。イライラしていても、紅茶を淹れて飲むと、「あー、おいしいなぁ」って感じると、少し安らぎました。それこそ、3月は午前中と午後、多いときは夕食後と飲んでました。紅茶で抑えられたせいか、コロナ太りはしなかったですよ。

そして、万年筆で文字を書くことも癒しになりました。
万年筆に自分の好きなインクをいれて書いていると、それだけで癒しになりました。
ちなみに、一番の癒しは、ナガサワ文具センターのKobe INK物語の「甲南マルーン」をマロン色のLAMY Al-starに入れて書くこと、でした。

 こんな感じで、自分の機嫌をとれるものというのは、大切だなぁ、と実感しました。

休校中の備忘録:4月、桜が咲いた

休校が始まって1ヶ月が過ぎ、桜が咲き始めました。
毎日のように、あちらの公園、こちらの公園と、桜が咲いている場所へと散歩してました。いつもなら屋台が出て、賑やかに花見をしている場所が、本当に静かに桜を眺める場所になっていました。

時間に余裕があったので、息子には自転車に挑戦してもらうことにしました。幼稚園でストライダーは乗っていたけど、自転車は未体験でした。ちょうど良いタイミングだと、とりあえず自転車屋さんに行って、自転車を購入しました。コロナウイルスの影響で、日本に在庫がないものは、いつ入荷するか分からない、とのことでしたが、欲しかったものは在庫があったので、無事に購入できました。

そうこうしているうちに、遂に「緊急事態宣言」が出ました。
3月からの休校で自粛生活が始まっていたから、今更感はあったけど、あっという間に周囲のお店が休業に入ってしまい、人気が減ったのは驚きでした。とはいえ、オフィス街に住んでいるので、日中はそれなりに人が歩いてました。でも、夜になると本当に静かで、マンションのいろんな音がよく聞こえるようになりました。

新学期は始まるわけがなく、二年生になるという期待?があった息子はがっくりして、やさぐれていました。学校に教科書を取りに行ったり、宿題の受け渡しをするのも保護者だけで、学校との接点がなくなり、進級した気分もなく、これくらいから勉強に対するモチベーションも思いっきり下がった感じがしました。学校は子ども向けにYouTubeで動画をアップしてくれたり、励ましてくれてはいたけど、一方通行のものは、なんだかもう通じない感じでしたね。

とりあえず、毎日散歩で外に出て、どこのお店が開いているとか、テイクアウトを始めたとか、そういうのをチェックする日々でした。私はあまり利用しなかったけど、夫は元からお持ち帰り大好き人間だったので、嬉々としてあちこちでテイクアウトしてました。食べるのが唯一の楽しみ、だったらしい。

夫は業務の一つに配達があるので、自宅勤務になる訳がなく、毎日同じように出勤しておりました。普段からラッシュ時ではないタイミングでの通勤だったので、あまり変化は感じてなかったみたいですね。当たり前だけど、配達先は仕事をしている場所だから、みんないつも通り働いてる、、ってな感じ。

外との接点がほとんどなくて、テレビではコロナ、コロナと言われても、自分の周りでは何もそんな話はなく、どこの世界の話?って感じでした。そんな生活が続いているから、もう外の世界に戻れないんじゃ?なんて思いましたよ。

休校中の備忘録 3月、終業式の頃

3月後半は、休校中だったけど登校日や終業式があって、息子は学校に行くことができて、少しリフレッシュ?したようでした。終業式は教室で校長先生の話を聞いて、通知表ももらって、一応、一区切り。

この頃から、息子にもマスクをつけるようになりました。給食のマスクとは別で、布マスクを持っていたので、とりあえず必要なシーンではつけるようにしました。
夫も会社で「頼むからマスクをしてくれ」と言われて、マスクをつけるようになりました。上司から
「マスクしないで外で働いてて嫁が嫌がるんじゃない?」
と言われたそうですが
「うちは嫁がマスク不要って言うんで」
と返したら絶句されたそうな。
私はズボラなこともあって、家で消毒をしたこともないですね。手洗いとうがいはしてますが、手洗いも水洗いです。そもそも息子と二人、自粛生活で人出が多い場所には出かけてませんでしたしね。スーパーも混まない時間帯を狙って行ってました。

3月末になると、外出自粛要請が出て、外の空気が変わっていくのを感じるようになりました。夫は、週末にはお出かけしたい人なので、ブツブツ文句を言ってましたが、私と息子はもうずーっと自粛生活をしていましたから、日常の延長だなって思ってました。

日本ではロックダウンができないとは聞いていたけど、それに近いものは発生するだろうから、気になることはとにかく先に買ったり、行ったり用事を済ませたりするようにしていました。

長い長い休みで良かったことの一つに、息子と縄跳びに挑戦できたことがあります。息子は全然できなかったけど、毎日毎日練習していたら、ついに跳べるようになりました。50回くらいは跳べるようになったのは成果です。息子もちょっと自信が持てたようです。日頃、できないことに時間をかけて取り組めたのは良かったですね。

休校中の備忘録 3月、休校が始まる

3月に入り、休校が始まりました。
当時の大阪は、とりあえず2週間の休校予定でしたし、木曜日に休校の発表があって、金曜日にいつも通り週末帰りの持ち物だけで下校してきました。2週間過ぎたら学校に戻れると息子は信じていたし、母の私も淡い期待を持っていました。

休校でなければ、毎日出されたであろう宿題の束を持ち帰ってきたので、午前中は宿題をして、午後からは公園に行ったり、外出をしていました。学校が長期休暇でも、これまでは習い事があったりで、のんびりできることはほとんどありませんでした。
習い事から何から何まで全部予定がキャンセルになったので、本当になーんにも予定がなく、宿題とピアノの練習が終わったら、ずーっと自由時間。時間に追われることなく、公園遊びを楽しんだり、お絵かきを楽しんだりしている息子を見て、こういう時間が必要だったなぁ、なんて思っていました。
とはいえ、母の私はとーっても疲れましたが。

とにかく、生活リズムが崩れないように、時間を決めて生活していました。
朝はテレビ体操を録画したものを毎日やったり、私自身も息子がいる手前、だらだらすることなく過ごしていました。

意識はしていなかったけど、身体はかなりの緊張状態に陥ったようです。プロのメンテナンスが必要だ!と、鍼灸院に行くと、身体が緊張していて浅い呼吸しかできない状態になってたよ、なんて言われました。ここの鍼灸院には本当に助けてもらってます。

休校は2週間で終わらず、延長が決まりました。
最初の2週間は、予定がない日々を楽しむ余裕があったけど、このあたりから、先の見えない自粛生活に突入していった感じがします。
息子に、「学校に行けない、友達や先生に会えない」ストレスが溜まっているのが感じられるようになりました。

 

これでも緊急事態宣言が出る前でしたから、まだのんびりしたものでした。